桜はん
人生の大切な節目に「これぞ秋田」「これぞ自分」という判子で捺印してみては?
そんな想いでこの「桜はん」は完成しました。「秋田愛」をとことん追求したい方にはもちろんのこと、若者の人生の節目に喜ばれる「意味ある贈物」にもお勧めしています。
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【薩摩本柘】八柳×ホリエ 桜皮細工はんこ 桜はん【星あかりケース付】
27,500円(税込)
角館の伝統工芸
「樺細工」の歴史
株式会社 八柳
樺細工は桜の皮を使用した世界でも類をみない工芸品。 角館で明治9年創業の株式会社 八柳は伝統工芸である樺細工の伝統を代々受け継ぎ守りながら、製造販売・卸を行っている老舗。伝統的な技法や作り方を継承しながらも現代の生活スタイルに合わせた商品作りを行っており、地元をはじめ観光客からも支持を得ている。「日用品として生活に樺細工を取り入れてもらいたい、日々の生活に樺細工を」。という思いから、商品開発に力を入れている。最近ではスマホケース等、若者にも人気の商品も手掛け、約300アイテムを揃えている。
樺細工八柳下中町店
〒014-0317 秋田県仙北市角館町下中町2番地
TEL.0187-53-2653 ■定休日/月曜日 ■営業時間/9:00〜17:00
http://yatuyanagi.net
角館の武家屋敷
「みちのくの小京都」とも呼ばれる角館。その始まりは定かではないが、角館の名がはじめて記録に登場するのは、豊臣秀吉の小田原攻めにも加わった大名、戸沢氏の系譜の中である。戸沢氏は標高一六八メートルの古城山(当時は小松山と呼ばれていた)に角館城を築城し、正面を北側に配し山麓には給人屋敷を配した。その後、情勢を窺って徳川方へと就いた戸沢氏は、安定した基礎を角館の地で築き上げていく。慶長七年、徳川幕府の基礎が整い、転封・移封が相次ぐと、戸沢氏は常陸松山城へと移り、代わって水戸より佐竹氏が秋田一円の領主として移ってくる。佐竹氏の命により角館を統治していた芦名氏は、町の狭さや水害、火災に悩まされ、元和六年に古城山の南側へと新しい町造りを始める。
みちのくの小京都、
町並みに息を呑む。
また、中央の道路は十一メートルの幅員をもち、家老以下の上級武士が居住し、その東側にはこれに準ずる武士、西側は徒士や足軽の居住区域に区分されていて、階級や知行高によって敷地居住にも規模の違いがあった。
武士の居住は大小にかかわらず、門があり、道路より少し奥まって玄関、取次ぎを設けていた。また、階級や身分による差は屋敷の部屋割りや水回りの便に表れていた。現在まで三八〇年余を経過したが、基本的な道路配置、屋敷区分は変わっておらず、武家屋敷の門前には「馬乗石・馬つなぎ石」、塀には女性が大名行列を覗くための「のぞき窓」が現在でも残っている。
こうして角館の町並を整えた芦名氏であったが、後にその家系は断絶してしまう。芦名氏断絶の後に「所預」として角館支配の任についたのが佐竹北家であった。北家時代の初期は農業開発が急速に進展し、また、林業・手工業の奨励、保護によって産業基盤の強化が図られ、商業活動も活発化し、角館は仙北郡の政治、経済、文化の中心としての基盤を確立していく。
花開く文化
特に文化の面では、角館は久保田藩の文教の地と称揚され、文化的伝統を培った。北家角館初代の佐竹義隣は京都の公家の出自であり、二代義明の室も三条西家の娘であった。北家当主は芸文を好む者が多く、家臣や組下武士においても、解体新書の挿絵を描き「秋田蘭画」の第一人者ともされる小田野直武を筆頭に学問や芸術に優れた人材を輩出するなど、二代にわたる京都との交流によって、角館は京文化の色濃い影響を受けた。
また、武家屋敷町並の百数十本の枝垂桜は、義明が京都から枝垂桜の苗木を取り寄せ植えたのが繁殖したと伝えられている。
角館が「みちのくの小京都」と称されるのは、町並の美しさに限らず、こうした京都に似た自然と文化的伝統の土地の故であろう。
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